シンガポールに来てちょうど10年になりますが、たまに何十年も前の記憶がふっと湧いてくることがあります。今回は、50年近く前のことになります。
巣鴨駅に向かう道の途中、線路沿いに児童公園があり、そのちょうど向かい側に古い木造の2階家がありました。ガラス戸の上には、トタン板にペンキで手書きした「全日本ピアノ指導者協会」という看板が据えられていました。
1階の事務所と向かい合う公園の柵に駐車したキャラバンの荷台には、いつも教材や印刷物が山のように積まれていて、子供ながらに「ここは一体何をやっているところなんだろう?」と思っていました。そのキャラバンを運転していたのは、私のその時代の恩師に負けず劣らず恰幅のよい、いつも幾何学模様のワンピースを着た女性でした。毎日忙しそうにキャラバンで出かけていて、たまにお嬢さんや、まだ小さいお坊ちゃんも助手席に乗っていました。
その恰幅のよい女性が、ピティナの創始者、故 福田靖子先生で、小さかったお坊ちゃんが、現ピティナの専務理事である成康さんです。
福田先生ご一家がそこに住まわれていたかどうかは記憶にありませんが、その道が駅に向かう近道だったので、ちょくちょく福田先生をお見掛けしていました。福田先生の方も、私がどの先生のところに通っているかご存知でしたので、目が合った時はご挨拶をしていました。
今でこそ、音大卒業生の多くが会員となり、コンクールを含め大所帯の活動となっていますが、その頃はまだ「全日本ピアノ指導者教会」という名前すら誰も知りませんでしたので、恐らく福田先生は地道にキャラバンで布教活動をされて、現在そのことが実を結んでいるのだと思います。「えっ、こんな会議室みたいなところで?」と言われそうなイベント・スペースにグランド・ピアノを入れて公開講座や演奏会を開き、着実に会員数を増やして行ったようです。
正直な話、そのころ普通にレッスンをするピアノの先生方からは白い目で見られていたようですので、福田先生にとって決して平坦な道ではなかったと思いますが、他人と目の付け所が全く違い、誰もやらなかったことを続けられて来たわけですから、やはり「先見の明」があったのだと思います。
シンガポールからも私の生徒が何人かピティナのコンクールに出ていますが、その正当性は別にして、ピアノを習う子供とその親御さんにとって、一つの大きな目標になっていることは確かだと思います。