今回は上級者/マスタークラス編です。このクラスになると単に楽曲解析だけでは不十分で、1つの作品を芸術的な音に仕上げるため「楽器」「演奏」「音響」のすべてを考えなければなりません。それなくして、このような大曲を人々を感動させる、魅了させる演奏に持ってゆく事は不可能です。

例えば、この曲をYong Siew Toh Conservatoire のSteinway で弾くのと、Esplanade にあるSteinway で弾くのでは全く状況が異なります。まず、同じメーカーとはいえ同じ音を出すピアノは2台とありません。Steinway が10台あったら、10種類の違う音が出るのです。ですから、これがもしYamaha のCF-III であったりBösendorfer であったりした場合には、もっと極端にタッチを変えなければなりません。また、Yong Siew Toh Hall など、客席の音場が極めて「ライブ」であるホールの場合は、ステージの音場が「デッド」であったとしても、客席の音場を見越して弾かなければなりません。本来は、こういう手探りの状態、細かな計算が出来るか出来ないかでピアニストの価値を見定めるべきですが、残念ながら大多数のピアニストはこのような大事なことをおろそかにしたり、全く知らなかったりします。

さて、プロコフィエフは近代現代の作曲家で、その作品も無調性であるものが多いですが、この作品(1942年完成)からはベートーベンのソナタ形式すら髣髴させるものがあり、ロマン派の様式を完璧に引きずっていると言えます。さらにロシアものを弾く際は、本来ロシア人にしかわからないような隠されたエッセンスがあり、ただ弾いても「外国人が演じる歌舞伎」のような変なものになってしまいます。ここにある種民族的なものが存在し、それが解釈できるかどうかも完成度に大きく関わって来ます。

 

第1楽章
この楽章と終楽章に見られる和音の連打をいかに軽く抜けずに弾けるかで、かなりの完成度が決まります。間違ってもアルゲリッチのようなタッチで弾いてしまうと、ほとんどの場合「大叩き」して全く別の曲となり、大失敗に終わります。この曲は音響を考えた場合、ダンパー・ペダルは第2楽章のハーフペダルを除いて全体を通して「ノンペダル」で弾き、レガートは指で作るべきです。さもないと、ただワンワンと音が鳴るだけで終わってしまいます。

第2楽章
ここでもアウフタクト(弱起)が出てきます。前にも述べたように弱起の曲を弾く際は、拍子の頭から数えながら弾き始めなければなりません。そして3度の音をいかに綺麗に響かせることができるかが、とても重要です。随所にハーフタッチを織り交ぜながら、鐘の音の遠近感と効果的なバスの響きをよく考えてください。この楽章の終結は極めて古典的なので、その特徴を十分に捉えて音をよく聞いてください。

第3楽章
特にこの終楽章を弾く際は、どの楽器で弾くかにより大幅に曲想が変わります。ですので、耳の確かな人に聞いてもらったり、録音してみて、自分が弾いているときに聞こえる音と、よく比較してみてください。そして、終始メトロノームのように一糸乱れぬテンポで弾き抜きます。途中に第1楽章の「隠れテーマ」が出てきます。よく「打楽器」の要素を持つ曲と言われますが、それを意識し過ぎると隠れ和音を見落とし本末転倒になるので、あまり考えないほうが無難です。164小節まではひたすら我慢し、165小節以降、どうぞテンポは変えずに猛り狂ってください(笑)。最終小節は1拍目を弾き切っても、7拍目まできちんと心の中で数えて曲を終結させてください。

 

プロコフィエフは、ロシア革命後日本を経由してアメリカに亡命し、14年後再び社会主義のソヴィエトに戻り、この曲を作曲しています。この曲だけ聞くといかにも前衛的に聞こえますが、ドビュッシー、スクリャービンを経てプロコフィエフに行き着くことを考えると、やはりロマン派の天才だと思うのです。